ライセンス取得キャンペーン中!

陸奥ダイビングセンター

海底に残存する陸奥

戦艦陸奥は現在、1970年の引き揚げ作業により船体の約75%が引き揚げられ、残りの約25%が海底に残存しています(ただし、これは重量比であるため、全長225mのうち56mほどしか残されていないというわけではありません)。
船体の形状が原型に近い形で残っているのは、第一主砲塔から第二主砲塔までの25〜30mほどで、それより後ろは、吃水線より上の構造物の残骸が第三主砲塔手前まで80〜90mほど、細かな残骸まで含めると200mほどの範囲に散らばっていると考えられます。
水中に残されている部分を大まかに塗り分けると図のようになります。赤で塗られたエリアが海底に残っていますが、そのままの形で残っているわけではなく、あくまでもエリアです。艦前部は比較的原型をとどめていますが、残存部における後部は、大半は判別不能な状態です。

 1943年6月、戦艦陸奥は第三砲塔の爆発により沈没、その際、船体が分断され右に大転倒しました。逆さになった艦橋が最初に海底に着底し、そのまま艦の重みにより折れたと考えられ、艦橋は水平に近い形で海底に横たわり、海底のシルト(泥)地質に8割ほど埋没しています。艦橋エリアで視認できるのは残りの2割ほどであり、少なくともシルト(泥)地質の中に8〜10mは埋もれていると考えられます。
下図は船体の状態です(※各所の崩落は省いています)。傾度は、長門・陸奥の資料には120度と記載されていますが、深度や埋没量から実際には140度ほどだと思われます。

全体を俯瞰して見た戦艦陸奥の形状が下図です。第一砲塔から第二砲塔までは、引き揚げ時の爆破処理が行われていないため比較的形が残っていますが、経年腐食はかなり進んでおり崩落も見受けられます。残存部における後部は、その多くが引き揚げられており、吃水線付近の階層から上部が残されているとはいえ、甲板上の構造物はほとんど泥に埋もれているようです。

*****
本記事は、陸奥プロジェクトの制作本 『戦艦陸奥 誕生から100年の歴史を視る(1)』のダイジェスト版です。本書はLove & Blueにて好評販売中!お気軽に下記までご連絡下さい。
⏩  ogawa@loveandblue.com

書名: 戦艦陸奥 誕生から100年の歴史を視るⅠ
副題: 写真と図で徹底解説、海底に残された陸奥の記録
制作: 陸奥プロジェクト
印刷所: 東京カラー印刷株式会社
頁数: 56ぺージ
初版 発行日: 2024/8/12
第二版改訂版 発行日: 2025/4/4

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。